雨月物語
刀剣乱舞の青江単騎というトレンドをTwitter上で見かけた
私はもう10年以上前になるが大学で近世日本文学、所謂江戸時代に書かれた作品を専攻していた
別の作品で卒論は書いたが、講義の1つとして雨月物語を原文で全て読み、解読していくという講義があった
私は元々小学生の時に漫画で雨月物語をよみ、年齢が上がるにつれ現代語訳で雨月物語を読んだことはあったが、原文で読むことは大学で初めてだった
私は幽霊や心霊ものに対して、どちらかというと強い方である
ホラー映画、心霊番組は平気でみれるぐらいは強めだ
ただし、スプラッタ
お前はダメだ
話は脱線したが、そんな私は雨月物語はとても好きな分類の本であったし、漫画と現代語訳で読む分には全然怖くはなかったのだ
しかし、結論からいうと、雨月物語は原文で読む方が怖さが倍増する
なんていうか、現代文で書かれている内容より原文で書かれている方がおどろおどろしさを感じる
特に吉備津の釜は恐ろしさが他に比べられないほど恐ろしく感じた
なんていうか、日本独特の恐ろしさというか、ホラー映画で有名なリングや螺旋、呪怨などの日本特有のホラーがあるのだ
救いようの無い絶望感、実際にある場所・行われていること、終わりがあるようでない
原文から久々と感じるのだ
当時、講義が終わるとその教室はシーンとした空気に包まれ、ボソリと誰かがいった
「この話、怖くね???」
「あ、私だけじゃないわ」と本気で思ったし、皆それを感じていたようで頷いていた
よく、元々は漫画原作の作品が小説化されたり、それの逆バージョンもある
そういう作品は原作の方を読んだ方が面白く感じることが私は多々ある
実は同じ日本語の作品でも、当時の言葉を使って読んだ方がその作品に対する魅力が格段に上がるということを雨月物語で学んだ
ただ、万人受けするためには当たり前だが分かりやすいことが1番大切である
あと数ヶ月もすれば夏がくる
再度読み直すにはいい機会なのかもしれない
手袋を買わずにベレー帽を買った後のこと
「手袋がほしい、手袋を買いに行こう」と
そこで、私は母に向かって手を出して一言
「このおててに合う手袋をください」
母はわかってくれたかが、父はわからなかった これは、新美南吉作『手袋を買いに』に出てくるセリフである
小学校の国語の授業でやったことがある人もちると思うが、簡単にあらすじを説明すると、小狐が手袋を買いに行く話である
買いに行く前に母狐が片方の手を人間の手に変え、手袋を買う時はその手を人間に出すように説明するが、小狐は逆の手を出してしまう
その時にいうセリフが「このおててに合う手袋をください」である
もっと話を詳しく知りたければ、手袋を買いにと検索すると割と上位に青空文庫で読めることが出来る さて、手袋を買いに某商業施設に行き手袋を探した
そこで、私は手袋ではなくベレー帽を購入した
ただ単に手袋をするとスマホが出来ない、指先だけがデザインが違う、というのが気に入らないだけである
お店でタグを切ってもらい、その場で被って店を出た
しばらく歩いて、とある店に入りブルゾンを試着した時にふと鏡を見た
あれだ、田中芳樹のSF小説『 銀河英雄伝説』の登場人物だ、ヤン・ウェンリーだ
なぜがベレー帽が斜めになっている
試着しているブルゾンと相まっている
「出来れば紅茶の方が良かった」
そんな一言を即座に言えない私がいたのが悔しかったある日の出来事御朱印
先日、蛇腹型の御朱印帳が表面が全て埋まったので
御朱印集めという随分前から流行ってものを今年の5月某日から始めた
決して、令和元年だからやってみよう、という気持ちではない、と思いたいところである
京都にある北野天満宮へ観光したときに、表紙、裏表紙が木製で出来ている御朱印帳を見つけ、物珍しさに御朱印帳を手に入れ、その場で御朱印を頂いた
ちなみに、この木製の御朱印帳に「北野天満宮 御宝刀 鬼切丸 別名髭切」という焼印が押してあった
あれや、源氏の重宝や、酒呑童子を切ったとされる刀や、オンラインゲーム刀剣乱舞、通称とうらぶにもキャラクターとして出てくるあの髭切や
この後、同じく源氏の重宝である薄緑こと膝丸が所蔵されている大覚寺に向かい、御朱印帳袋を購入することとなる
これは、所詮オタクの性である
さて、ついに人生初の御朱印を頂く時がきた
その時に思い、その場にいた同行人にも思わず言ってしまったことがある
字、うまくね?!
筆に墨をつけ、サラサラと御朱印を書いている神社の人(正式になんていうのかわからない)の筆遣い、そして強弱をつけて御朱印が書かれていく
スタンプをこれまた丁寧にくっきりと押す絶妙な力加減
これはもはや芸術品である
これ、1日に何百と同じ御朱印を書くのか……
これ、腱鞘炎になるよね?と心の中で思った
実際、御朱印 腱鞘炎 と検索をかけると腱鞘炎の為、お休みさせていただきます。というのが
また平成と令和の御朱印を頂くために各地の神社仏閣に多くの人が押しかけた結果、参拝客らへの対応で高齢の氏子らが疲れ果て寝込んでしまった。というのもヒットし、戦慄した
ようこそ、お参り下さいました。」といわれ、真新しい御朱印帳がを受け取った時に思った
御朱印を頂いたら大切にしよう、と
半分埋まった御朱印帳をみて思う
意外にも、神社によく行っているな(特別、神社と仏閣で御朱印帳を分けていない)
あぁ、ここ観光に行ったな、この時に食べた名物品は美味しかったな、この時に見た仏像や絵画は素晴らしかったな
元々、御朱印は神社仏閣に納経した証として頂いていたものが参拝の際にも記念として、そして旅行の記念としてと変化していった
私は私なりに敬い、楽しんでいこうと思う
さて、ここで1つ疑問がある
特別、裏写りしていないこの御朱印帳、裏面も使える、よね?
まだまだ勉強することも多いこともまた事実